ロートレック(アンリ・トゥルーズ=ロートレック/Toulouse-Lautrec)の代表作品・経歴・解説

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ムーラン・ルージュにて、ダンス

(1890年) 油彩・カンヴァス 115.6×149.9cm フィラデルフィア美術館/アメリカ

アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)
1864年11月24日生 - 1901年9月9日没
フランス / 世紀末美術
  • 人間の内面を描き続け、時代を駆け抜けた画家、ロートレック
  • 生涯:南仏の伯爵家の家に生まれたロートレックは、幼少期は活発な少年として育ちましたが、事故で足を骨折したことによって足の成長が止まります。無理のきかない体となった気晴らしとして絵を始めると、次第に熱中し本格的に勉強を始めます。そして、芸術家が多く集まる町、モンマルトルに移り住み、歓楽街に入り浸る生活を始めます。そこでは娼婦、踊り子、キャバレーに通う客などと交流を持ち彼らを絵のモチーフとして精力的に制作をしていました。1891年ダンスホール「ムーラン・ルージュ」のポスターを制作するとその独創性の高い表現が注目を浴び一躍人気画家の仲間入りを果たします。しかし、そんな時期は永らくは続かず、アルコール依存により心身は衰え、入院や療養を繰り返し36歳という若さでこの世を去りました。
    なお、日本人の間ではロートレックという名で親しまれていますが、正しくは「トゥールーズ=ロートレック」でひとつの姓。
  • 作風:踊り子や屋内の光を描いたドガに強く影響を受けると共に、特にポスター制作においては、構図の取り方や色面構成にジャポニスム(日本趣味)・浮世絵からの影響も指摘されています。モチーフは大半が人物画を占めており、ロートレック自身「人間を描かなきゃだめだ」という言葉を残しています。ロートレックの鋭い人間観察によって描かれた有名な歌手や踊り子、着飾ったお客は、歓楽街という外見の華やかさや美しさには焦点が当てられておらず、虚構の世界に潜む孤独感や、憂愁、醜態といった内面描写に光が当てられています。
  • 代表作品・作品解説
  • 【ムーラン・ルージュにて、ダンス】

    ムーラン・ルージュは19世紀末から第一次世界大戦にかけてパリで一斉を風靡したダンスホール。ロートレックはここで30点ほどの油彩画を描いています。市民、貴族、娼婦などのあらゆる人々が集い賑わいをみせていましたが、ロートレックの目には、虚飾の奥に潜む群集の孤独感が見えていたことでしょう。踊る女性と手前のピンクのドレスの女性以外は黒いシルエットのように描かれ、その人物達はどこか憂いを帯びた表情をしているように見えます
作品 Pick Up
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ディヴァン・ジャポネ
(1892-93年)

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アンバサドゥールのブリュアン
(1892年)

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赤毛の女性
(1889年)

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ムーラン・ルージュに入るラ・グリージュ
(1891-92年)

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ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ
(1891年)

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ガブリエルの肖像
(1891年)

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ひとり
(1896年)

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ムーラン・ルージュにて
(1892-95年)

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洗濯女
(1885-86年)


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