長谷川等伯(はせがわ とうはく)の代表作品・経歴・解説

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松林図屏風

(1593~5年) 紙本墨画 155.0×346.8cm 東京国立博物館

長谷川等伯(Hasegawa Tōhaku)
1539年 - 1610年3月19日没
日本 / 安土桃山時代・長谷川派
  • 「狩野派」の最大のライバル。どんな画題も自在に描く天才絵師
  • 生涯と経歴: 武士の子として七尾(現在の石川県)に生まれ、幼くして染物屋の養子となり、若年期は七尾を中心に信春と号して仏画や肖像画を描いて過ごします。
     30歳を過ぎて京都に出ると雪舟の弟子に私淑し、雪舟の花鳥図をはじめ、やまと絵の学習にも励みます。このころ、交流のあった千利休を介して目にした大徳寺の牧谿画に大きな衝撃を受け、水墨画における自らの方向性を確信します。名も等伯と改め、日本独自の水墨画様式を確立し、京にて活躍を名声を手に入れ始めた頃、等伯の最大のライバルであった狩野永徳が死去。祥雲寺障壁画の制作を任せられると狩野派にはない独自の華麗な金碧障壁画を完成させます。
     66歳で法橋(現在でいう人間国宝並みの名誉)叙せられます。徳川家康に招かれて赴いた江戸で72歳で死去。
  • 代表作品・作品解説
  • 【松林図屏風】

    国宝。「美術史上日本の水墨画を自立させた」と称され、近世日本水墨画の代表作の1つとされています。移ろいゆく時間の変化を情感豊かに描いた本作は、モチーフを画面に散らばせて描く不安定な構図をとっており、等伯の新しい絵画表現への意欲が認められます。右隻と左隻の紙のズレや、通常の屏風絵では使われない画材が用いられている点などから、本来は下絵か別の用途で描かれた、あるいは、この頃息子の久蔵が26歳の若さで亡くなっており、その悲しみを背負った等伯が、人からの依頼ではなく自分自身のために描いたとも解釈されています。
  • 【楓図壁貼付】

    国宝。豊臣秀吉が、3歳で死去した愛児鶴松のために建立した京都の祥雲寺の障壁画として描かれました。やまと絵で好んで用いられたモチーフである楓を、金碧大画面に狩野永徳ばりに大胆に配置しています。しかし、細密な描写や、紅葉の赤と根元の草木の緑の織り成すカ可憐な色彩対比に、等伯らしい繊細さが滲み出ています
作品 Pick Up
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楓図壁貼付
(1592年)

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牧馬図屏風

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伝名和長年像

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龍虎図屏風
(1606年)

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松に草木
(1592年)

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梅ニ鼬図

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三十番神図
(1566年)


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