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狩野芳崖(かのうほうがい)の代表作品・経歴・解説

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悲母観音

(1888年) 絹本着色 195.8×86.1cm 東京藝術大学

狩野芳崖(Kanō Hōgai)
1828年2月27日 - 1888年11月5日没
日本 / 日本画(狩野派)
  • 新生日本画の創造を試みた最後の狩野派
  • 生涯と経歴: 幕末の長府藩(現在の下関市)御用絵師の家に生まれ、幼少より画才を見せ始めた芳崖。 明治維新前は長府藩と江戸を往来して御用絵師として活躍しつつ、雪舟や雪村を学び雲谷の強い作品を描きます。 明治維新の混乱期を経て東京に移り、漆器や陶器の下絵を描いて生活を立てていました。明治15年、芳崖54歳の時、日本画を高く評価していたフェノロサと出会うと、空気遠近法や明暗対比の効果などの技法を取り入れた新しい日本画の創造を目指して邁進します。また岡倉天心と共に図画取調所(美術学校の前身)等美術学校の設立に尽力し、東京美術学校(東京芸大)の講師にも任命されていましたが開校を待たずして死去しました。
  • 代表作品・作品解説
  • 【悲母観音】

    芳崖が死の4日前まで描いた絶筆であり、作家自身の最高傑作として名高い本作は、同時に日本画近代化の幕開けにおける記念碑的な、日本美術史上重要な作品とされています。生まれたての嬰児に甘露の水を灌ぐ観音様の姿が描かれており、積極的に空気遠近法といった西洋画の技法を取り込んでいることがわかります。加えて東洋美術と融合させて、調和のとれた穏やかな日本画の新境地を開きました。
  • 【仁王捉鬼図】

    フランスから取り寄せた西洋の絵の具を日本画に用いた試行作品。従来の日本画にない派手なピンクや水色と金や朱を織り交ぜて、超ど派手な作品となっています。(「もっと知りたい狩野派」より)
作品 Pick Up
※画像はクリックで拡大します
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仁王捉鬼図
(1886年)


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飛龍戯児図
(1885年)


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谿間雄飛図
(1885年)


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林和靖図

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溪山幽趣

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三聖図(模本)


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