狩野探幽(かのう たんゆう)の代表作品・経歴・解説

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雪中梅竹遊禽図襖

(1634年) 紙本淡彩金泥引 4面各191.3×135.7cm 名古屋城(上洛殿三の間)

狩野探幽(Kanō Tan'yū)
1602年3月7日生 - 1674年11月4日没
日本 / 狩野派
  • 狩野派随一の天才絵師。画壇の家康と呼ばれた探幽
  • 生涯と経歴: 早熟の天才といわれる探幽は、13歳で、父永徳の再来と絶賛され、16歳で江戸に召されて幕府御用絵師となります。幼少期は父孝信の様式が色濃く、20代では永徳様式に影響を受けています。30代では名古屋城本丸上洛殿の水墨障壁画にみられる「探幽様式」が完成し、同時期にやまと絵研究も始めます。61歳で画家としての最高の地位である法印に登りつめ73歳で死去。
  • 作風と様式: 画面をはみ出ていく勢いを持つ永徳に対し、画面枠を意識した様式「探幽様式」を確立した探幽。これは、画面内にたっぷりと余白をとり叙情性を盛り込んでいこうとするもので、墨の濃淡や墨線の太さの極端な使い分けが重要であるとされています。さらに、やまと絵の研究によって、硬い漢画の表現方法から次第にやまと絵のやわらかさを身に付け、樹木や建物はやや漢画風を残し、人物や土波はやまと絵風に徹した「新やまと絵」と言える作品も残しています。
  • 代表作品・作品解説
  • 【雪中梅竹遊禽図襖】

    重要文化財。雪の降り積もった老いた梅の木が、二等辺三角形を意識したような構図をとり形よく枝を伸ばしています。松の枝の左先には1羽の小禽がたっぷりとした余白の中で枝先を見つめており、空間の広がりや詩情性が見事に表現された「探幽様式」を感じることができます。画面いっぱいにモチーフを描く様式で一世を風靡した狩野永徳の代表作「檜図屏風」と比べると狩野派の変遷がよく理解できるでしょう。
  • 【探幽縮図】

    自らが目にした中国画や仏画、水墨画、絵巻物などの名画を縮図として模写したもので、現在まで膨大な量が残っています。現在では原画が現存しない古画についての模写も多数含まれているため、日本絵画史研究上、貴重な資料となっています。
作品 Pick Up
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雲龍図


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探幽縮図



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四季松図屏風



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三十六歌仙図扁額より小野小町
(1648年)


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四季花鳥図・夏図
(1672年)


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