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伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の代表作品・経歴・解説

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動植綵絵より「群鶏図」

(1761-65年) 絹本着色 142.1×79.5cm 宮内庁三の丸尚蔵館

伊藤 若冲(Itō Jakuchū)
1716年3月1日 - 1800年10月27日没
日本・京 / 写生画
  • 写実と想像を巧みに融合させ自然を描いた「奇想の画家」
  • 生涯と経歴: 京都の中心地で青物市場の問屋に生まれた若冲は、10代半ば頃から絵の修業を始め、40歳になると家業を次弟に譲り本格的に絵の道に進みます。修業期間中は、狩野派の技術を学んでいましたが、「狩野派の画法を極めたところでこの範囲を超えることはできない」と考え、宋元画(水墨画・仏画など)の模写を行うこととします。模写すること1000点余りを過ぎ、これに飽くと実物写生に移行。庭に鶏を放し写生することから始め、その対象は草木・鳥獣・虫魚の類にも及んでいます。そして、画業に転じた40代には彼の代表作である「動植綵絵」を完成させると、水墨画、版画、障壁画などあらゆるジャンルにわたり才能を発揮し、傑作を数々に生み出しました。
  • 代表作品・作品解説
  • 【動植綵絵】

    1758年ごろから10年近くをかけて完成させた30枚の連作でなる、動植物を描いた彩色画で、若冲の代表作。鳥、鳳凰、草花、魚介類などさまざまな動植物が細密極まる筆致で画面を埋め尽くしています。近年の研究を通じ、絹地の裏側からも彩色を施す「裏彩色」と呼ばれる伝統的な技法を多用し、絹を透かした時に見える色彩効果を完璧に計算しているということがわかってきました。「動植綵絵」は「釈迦三尊図」と共に、両親と弟、そして若冲自身の永代供養を願って相国寺に寄進され、現在は宮内庁が管理しています。当時の最高品質の画絹や絵具を惜しみなく使用したため、200年以上たった現在でも褪色も少な<、非常に良い保存状態で鑑賞することができます。
  • 【動植綵絵より「群鶏図」】

    動植綵絵のシリーズ30作品のうち、最も有名な作品のひとつである「群鶏図」。精緻に描かれた文様を持つ13羽の鶏がひしめき合う画面はまるでうずまきのように迫り、観るものを圧倒します
  • 【果蔬涅槃図】

    野菜と果物を集め、釈迦入滅の様子(釈迦涅槃図)に見立てている戯画の一種で、真ん中の二股大根が釈迦を演じている。若冲は水墨画を描く際「画箋紙」という吸水性の強い紙を用いており、隣接した墨面同士が混ざり合わずに境界が白っぽくなる性質を利用し、花弁や竜の鱗を1枚ずつ描き分ける技法を得意としていました。
  • 【白象群獣図】

    薄墨で9mm間隔に方眼を作り、その上から全体に薄く胡粉を塗る。そうして出来た碁盤目を淡い灰色で彩り、更に灰色の正方形すべてに4分の一よりやや大きい正方形を、先程より濃い墨で必ず方眼の上辺と左辺に接するように塗り分ける。ここまでが下地作りで、その上に動物たちを淡彩を用い隈取りを施しながらグラデーションで描くという非常に手の込んだ特異な技法「枡目描き」によって描かれています。織物の上に描いたような質感を絵画で表現しようとしたと考えられています。
作品 Pick Up
※画像はクリックで拡大します
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「動植綵絵」老松白鳳図
(1761-1765年)

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「動植綵絵」芍薬群蝶図

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「動植綵絵」紫陽花双鶏図
(1759年)

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「動植綵絵」雪中鴛鴦図
(1759年)

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「動植綵絵」池辺群虫図
(1761年)

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果蔬涅槃図
(1779-1782年)

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白象群獣図
(1772年)

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日出鳳凰図

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(1775-1790年)


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