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海北友松(かいほう ゆうしょう)の代表作品・経歴・解説

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山水図屏風

(1602年) 紙本墨画 154.5×360.6cm 東京国立博物館

海北友松(Kaihō Yūshō)
1533年生 - 1615年6月27日没
日本 / 海北派
  • 狩野永徳、長谷川等伯らと並ぶ桃山時代画壇の絵師。
  • 生涯と経歴:  浅井氏家臣・海北綱親の五男(あるいは三男)として生まれ、戦国の動乱で幼くして禅門に入り、京の東福寺で修行し、このときに狩野派を学びます。師匠は狩野元信とも狩野永徳ともいわれていますがはっきりしていません。40才代で還俗すると海北家再興を志しますが、豊臣秀吉に画才を認められたことから武門を去り画業に専念しました。 晩年は公家や禅憎と交流を持ち、多くの水墨押絵貼屏風を制作しています。子に同じく絵師の海北友雪。
  • 作風: 戦国武人らしい気合の入った激しい筆使い、ダイナミックな画面構成が非常に特徴的であり、狩野永徳の大画面方式の影響をうかがわせます。人物描写においては「袋人物」と呼ばれる衣が風をはらんでふくらんだ袋のような衣文線を独自に作り上げます。晩年には筆数を抑える減筆体の手法により画面には静かで広大な余白がもたらされました。
作品 Pick Up
※画像はクリックで拡大します
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飲中八仙図
(1602年)

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琴棋書画図屏風

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雲龍図屏風(右隻) 

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花卉図屏風(左隻)


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長谷川等伯(はせがわ とうはく)の代表作品・経歴・解説

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松林図屏風

(1593~5年) 紙本墨画 155.0×346.8cm 東京国立博物館

長谷川等伯(Hasegawa Tōhaku)
1539年 - 1610年3月19日没
日本 / 安土桃山時代・長谷川派
  • 「狩野派」の最大のライバル。どんな画題も自在に描く天才絵師
  • 生涯と経歴: 武士の子として七尾(現在の石川県)に生まれ、幼くして染物屋の養子となり、若年期は七尾を中心に信春と号して仏画や肖像画を描いて過ごします。
     30歳を過ぎて京都に出ると雪舟の弟子に私淑し、雪舟の花鳥図をはじめ、やまと絵の学習にも励みます。このころ、交流のあった千利休を介して目にした大徳寺の牧谿画に大きな衝撃を受け、水墨画における自らの方向性を確信します。名も等伯と改め、日本独自の水墨画様式を確立し、京にて活躍を名声を手に入れ始めた頃、等伯の最大のライバルであった狩野永徳が死去。祥雲寺障壁画の制作を任せられると狩野派にはない独自の華麗な金碧障壁画を完成させます。
     66歳で法橋(現在でいう人間国宝並みの名誉)叙せられます。徳川家康に招かれて赴いた江戸で72歳で死去。
  • 代表作品・作品解説
  • 【松林図屏風】

    国宝。「美術史上日本の水墨画を自立させた」と称され、近世日本水墨画の代表作の1つとされています。移ろいゆく時間の変化を情感豊かに描いた本作は、モチーフを画面に散らばせて描く不安定な構図をとっており、等伯の新しい絵画表現への意欲が認められます。右隻と左隻の紙のズレや、通常の屏風絵では使われない画材が用いられている点などから、本来は下絵か別の用途で描かれた、あるいは、この頃息子の久蔵が26歳の若さで亡くなっており、その悲しみを背負った等伯が、人からの依頼ではなく自分自身のために描いたとも解釈されています。
  • 【楓図壁貼付】

    国宝。豊臣秀吉が、3歳で死去した愛児鶴松のために建立した京都の祥雲寺の障壁画として描かれました。やまと絵で好んで用いられたモチーフである楓を、金碧大画面に狩野永徳ばりに大胆に配置しています。しかし、細密な描写や、紅葉の赤と根元の草木の緑の織り成すカ可憐な色彩対比に、等伯らしい繊細さが滲み出ています
作品 Pick Up
※画像はクリックで拡大します
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楓図壁貼付
(1592年)

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牧馬図屏風

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伝名和長年像

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龍虎図屏風
(1606年)

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松に草木
(1592年)

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梅ニ鼬図

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三十番神図
(1566年)


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河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)の代表作品・経歴・解説

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大和美人図

(1884-86年) 紙本着色  132.5×62.2cm 個人蔵

河鍋暁斎(Kawanabe Kyōsai)
1831年5月18日生~ 1889年4月26日没
日本 / 浮世絵・狩野派
  • 奔放でありながら確かな筆力で、激動の幕末期を駆け抜けた「奇才」
  • 位置づけと作風: 狩野派の流れと浮世絵との伝統を股にかけ、幕末・明治の激動期を生きた画家です。真面目な仏画から、風刺のきいた戯画・狂画や、妖怪画などで有名ですが、抜群の企画力・構想力、筆力の強さなど、そのスケールは他の追随を許しません。酒豪で知られ、奇行や逸話の多い画家としても有名。
  • 生涯と経歴: 下総国(現在の茨城県)に生まれ、2歳で家族とともに江戸へ移り、7歳で浮世絵師・歌川国芳の門に入り浮世絵を学びます。10歳で駿河台狩野家の前村洞和・狩野洞白陳信に師事し狩野派の画法を習得し、19歳で独立します。しかし時は幕末の不穏な世相の中で、狩野派絵師として生活するのが苦しかったため「狂斎」の名で風刺のきいた浮世絵、戯画、行灯絵などの制作をはじめ、一躍人気者となります。しかし、1870年は政治批判をしたとして逮捕投獄。翌年に放免後は、号を「暁斎」と改め、万博や勧業博覧会などの展覧会で目覚ましい活躍をします。また、英国人建築家コンデル(コンドル)を弟子にとったりと積極的に外国人との交流を図ったため、今日でも欧米の評価が日本を凌ぐといわれています。
  • 代表作品・作品解説
  • 【大和美人図】

    弟子コンドル(コンデル)のために、彼の目前で60日かけて丹精を込めて描き、贈った作品。その制作の過程と技法を、1911年に出版した日本画の研究書「河鍋暁斎―本画と画稿」の中で詳細に記しています。各美人の着物の細密な柄の描きこみの見事さとともに、背景の屏風等の模様の丹念な描写に目を奪われます。
作品 Pick Up
※画像はクリックで拡大します
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慈母観音像
(1883年)

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地獄太夫と一休

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暁斎楽画・ 不動明王開化
(1874年)

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地獄極楽めぐり図より三途の川の渡し船

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枯木寒鴉図
(1881年頃)

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鯉魚遊泳図

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幽霊図

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九相図


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狩野山雪(かのう さんせつ)の代表作品・経歴・解説

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老梅図襖

(1647年) 紙本金地著色 166.7×116cm メトロポリタン美術館/ニューヨーク

狩野山雪(Kanō Sansetsu)
1590年 - 1651年5月1日没
日本 / 狩野派
  • 幾何学的構図で有名な「奇想の画家」の先駆
  • 生涯と経歴: 千賀道元の子として生まれ、大阪で狩野山楽の弟子となり、やがてその娘と結婚し養子となり狩野性を授けられた山雪。山楽の助手として活躍し師が没したのち後を嗣ぎ、京狩野の第2代となります。1647年、法橋に叙されますが、2年後、なんらかの疑いにより投獄され獄中で没しています。(獄中から息子へ手紙で自己の無実を訴えています)。また、孤独を好み、歴史や儒学を好む学究肌としての側面を持ち、絵画史研究を行いました。山雪の子・狩野永納が著した本格的な画家伝『本朝画史』は、山雪の草稿を永納が完成させ出版したものです。
  • 作風: 水平・垂直を規範とした装飾性の強い幾何学的構図が特徴。さらに、形態の執拗な追求や精神性性を感じる造形など、奇矯な表現を先行した画家として、伊藤若沖や蕭白など個性的画家とともに評価が高まっています。
  • 代表作品・作品解説
  • 【老梅図襖】

    京都妙心寺の襖絵として描かれた、山雪の傑作のひとつ。大蛇が身悶えるように枝を伸ばしていくような老梅が非常に独創的で強烈なインパクトを与えています。まるで情念を塗りこめたかのような表現は、山雪自身の晩年の苦悩、すなわち、京での活躍が認められる一方で、探幽ら江戸狩野派の繁栄のかげとなり狩野派内での孤立化していった自らの鬱屈した精神を如実に物語っているともいえます。
作品 Pick Up
※画像はクリックで拡大します
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聖賢図15幅・孟子像
(1632年)

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聖賢図15幅・孔子像
(1632年)

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聖賢図15幅・周公像
(1632年)

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瀟湘八景図屏風
(17世紀)

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瀟湘八景図屏風(部分)


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狩野山楽(かのうさんらく)の代表作品・経歴・解説

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牡丹図襖

紙本金地着色 各184.0×98.6cm 大覚寺宸殿障壁画/京都

狩野山楽(Kanō Sanraku)
1559年 - 1635年9月30日没
日本 / 狩野派
  • 京狩野の祖。永徳の一番弟子
  • 生涯と経歴: 安土桃山~江戸時代初期に活躍した画家。浅井長政の家臣・木村永光の子で、はじめ豊臣秀吉に小姓として仕えたますが,画才をみとめられて狩野永徳の門に入り、のちにその養子となります。永徳ほどの豪快な表現を得意としていましたが、やがては独自の写実味と装飾的で華やかな画風で名声を博します。この画風は山楽の養子山雪によってさらに推し進められていきます。
     なお狩野探幽らが江戸に移って活動したことに対し、狩野山楽や弟子の狩野山雪らは京都に留まって活躍したことから「京狩野」と称され、山楽はその祖とされています。
  • 代表作品・作品解説
  • 【牡丹図襖】

    大覚寺宸殿、牡丹の間に描かれた金碧の襖絵。牡丹を近接して大きく描く大胆な構図は、永徳風のスケールや絢爛豪華な桃山文化を伝えています。しかし、岩の描写などには装飾化への傾きがうかがえます。重要文化財。
作品 Pick Up
※画像はクリックで拡大します
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紅梅図襖
(17c初頭)


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龍虎図屏風



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松図
(江戸時代)



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車争図屏風(全体)
(江戸時代・17世紀)

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車争図屏風(部分)
(江戸時代・17世紀)


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黄石公張良虎渓三笑図屏風
(桃山時代・17世紀)


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