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ジャン・グロ(アントワーヌ=ジャン・グロ,Antoine-Jean Gros)の代表作品・経歴・解説

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アイラウの戦いにおける、野戦場のナポレオン1世
エロの戦場のナポレオン・ボナパルト

(1808年) 油彩・カンヴァス 521×784cmm ルーブル美術館/パリ

アントワーヌ=ジャン・グロ (Antoine-Jean Gros)
1771年3月16日生 - 1835年6月25日没
フランス / 新古典主義・ロマン主義
  • ロマン主義の血が色濃く流れる、苦悩の新古典主義画家
  • 生涯:幼少より絵の才能を開花させたグロは、新古典主義の画家ダヴィッドの工房に入り、熱心に新古典主義の教えを受けます。フランス革命の混乱期であった1793年、イタリアにて皇帝ナポレオンの偉業を讃える歴史画を描くと一気に彼の名声が高まり、1804年から描いたナポレオンを称賛する大作3点の完成によりその地位を不動のものとしました。

    1816年、エコール・デ・ボザールの教授に就任し、古典主義の指導者の地位を恩師ダヴィッドより引き継いだグロ。しかし彼は作品を追求すればするほど、ロマン主義的傾向の作品となっていることに気付きます。例えば戦争画の生々しさや激しさといったリアリティーを、生き生きとした彩色によりもたらすその手腕は、画家が持ちえた天性の才能であり魅力であったといえます。そういった古典主義の流れに反するとみなされた色合いを持ちながら、古典主義派で修行した彼はその決まり事に束縛され、ついには苦悩の末1835年自殺します。

  • 出世3部作:①『ヤッファのペスト患者たちを見舞うナポレオン』 ②『アブキールの戦い』 ③『アイラウの戦い(における、ナポレオン1世)』を次々と完成させたグロ。これらの3つの主題、①大衆の支持を得た指導者が不動の悪疫に直面する場面 ②勝利の素晴らしい瞬間へ挑戦する場面 ③激戦の苦い損失に心を痛める場面は、その類稀なる迫真の描写力と、ナポレオンを肯定的に描いたことで、彼の名声を押し上げた出世作とされています。
作品 Pick Up
※画像はクリックで拡大します
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ヤッファのペスト患者たちを見舞うナポレオン
(1804年)

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アブキールの戦い
(1806年)

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アルコン橋上のナポレオン
(1801年)

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クリスティーヌ・ボワイエ像
(1800年頃)

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ジュリエット・レカミエ夫人
(1825年)

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アキスとガラテア
(1833年)

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ナポレオンの愛馬マレンゴ
(1801年)


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ポロック(ジャクソン・ポロック,Jackson Pollock)の代表作品・経歴・解説

ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock)
1912年1月28日生 - 1956年8月11日没
アメリカ / 抽象表現主義・アクションペインティング
  • アートの中心がヨーロッパからアメリカへ!アメリカ美術に大きな影響を与えた画家
  • 生涯: 1912年、ワイオミング州コーディに生まれ、画家トーマス・ハート・ベンソンよりリ指導を受けます。始めはベンソンの影響の強い作品を描いていましたが、メキシコ人の壁画作家達に衝撃を受け、自らの制作スタイルの方向を模索し始めます。初期はピカソのキュビスム的画面構成とシュルレアリスム的な主題を扱い、やがては現在彼の代名詞でもあるといえる、アクション・ペインティングを追求していくこととなりました。彼の作品の奔放さ、自由さは、当時のアメリカそのものを象徴するとして、歓迎と非難をもって受け入れられましたが、そういったプレッシャーからか、元々患っていたアルコール依存が強くなっていったポロック。彼は自動車事故により44歳という短い生涯を終えました。
  • アクション・ペインティング:完成した絵を描くのではなく、描いているときこそが表現とするもの。キャンバスをイーゼルからおろし、筆を使わないで絵の具の滴りで描く「ドリッピング」や、「ポアリング」という技法を考案しました。
  • ポロックの言葉:「絵はそれ自身の命を持っている。私はそれをまっとうさせてやろうとするのだ。絵と自分はギブアンドテイクの関係にある」

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ノーマン・ロックウェル(Norman Rockwell)の代表作品・経歴・解説

ノーマン・ロックウェル(Norman Rockwell)
1894年2月3日生 - 1978年11月8日没
アメリカ / 画家・イラストレーター
  • アメリカを代表する国民的画家、ロックウェル
  • 位置づけ:軽いタッチで古き良きアメリカの市民生活を描き、アメリカで幅広い大衆的人気のある画家です。1916年から40年にわたり300以上の「ザ・サタデー・イブニング・ポスト」誌の表紙を描き続けるなど、彼の絵は商業主義的な面も強いため、イラストレーターと呼ばれることもあります。
  • 作風:見るとほのぼのとするようなユーモラスな作品が多い一方、人種差別を主題とする社会性の強い作品を描いたことでも有名です。描く際は、小道具を揃え、衣装を着用したモデルに自ら演技指導し、何枚もの写真を撮り、完全なイメージが出来上がるまで何度も下書きを重ねるというスタイルをとっていました。動き出しそうな人物達の一瞬の表情を見事に描き出している彼の作品は、人間に対する鋭い観察力と、決して妥協を許さないひたむきな向上心によって作り上げられたものといえます。
  • 代表作品・作品解説
  • 【4つの自由】

    1941年ルーズベルトが語った(人類の普遍的な)4つの自由、すなわち「言論・表現の自由」「恐怖からの自由」「信仰・宗教の自由」「欠乏からの自由」を元に描かれた作品で、サタデー・イブニング・ポストで発表されました。

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黒田清輝(Kuroda Seiki)の代表作品・経歴・解説

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湖畔

(1897年) 油彩・カンヴァス 69×84.7cm 東京国立博物館

黒田清輝(Kuroda Seiki)
1866年8月9日生 - 1924年7月15日没
日本 / 洋画家・外光派
  • 日本の近代洋画の発展に大きく影響を与えた画家、黒田清輝
  • 生涯:もともとは法律家になるため、1884年渡仏した黒田は、絵に興味を抱くようになり画家へ転向、外光派のサロン画家ラファエル・コランに師事し、アカデミックな絵画教育を受けます。1891年に「読書」でサロンに入選し、2年後に帰国します。帰国後は日本画壇に身を置いたものの、古い封建的な体質に激しく反発し、若い画家仲間たちと共に「白馬会」を創設。2年後には東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授に就任するなど、美術教育の発展や西洋画家の地位向上に大きく影響を与えました。
  • 作風と影響:黒田が師事したコランは、外光描写を取り入れた美しい女性像・裸婦像を得意とする画家でした。それまでバビルゾン派風の作風が主であった日本洋画界に、彼の帰国によって自由で明るさに溢れた作品がもたらされました。
     また、当時は裸体画を展示するのは好ましくないとされていたものの、西洋美術の伝統に基づき、人体を描くことを重視し、裸体デッサンを絵画制作の基礎として定着させていきました。
  • 代表作品・作品解説
  • 【湖畔】

    箱根の芦ノ湖と彼岸の山を背景にして涼をとるこの女性のモデルは、友人の画家安藤仲太郎が紹介した芸者で、当時23歳の金子種子。のちに清輝の妻となり照子と改名しています。明治30年の第2回白馬会展では『避暑』の題で出品され、1900年のパリ万国博覧会に『智・感・情』とともに出品されたものです。即興的に製作された作品ですが、日本の独特の湿度や気温など高原の気配が伝わってくるような様子を見事に描き出しています。
作品 Pick Up
※画像はクリックで拡大します
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読書
(1892年)


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智・感・情
(1899年)


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野辺
(1907年)



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藤田嗣治(レオナール・フジタ)の代表作品・経歴・解説

藤田嗣治/レオナール・フジタ(Leonard Foujita)
1886年11月27日生―1968年1月29日没
フランス / エコール・ド・パリ
  • フランスで最も有名な日本人画家
  • 生涯:東京美術学校(現在の東京芸術大学)を卒業後、27歳で渡仏した藤田は、ここで、ピカソモディリアーニスーティンらと親交を結び、当時の最先端の芸術であるキュビスムやシュルレアリスムを学びます。第一次世界大戦が勃発すると作品が売れなくなり生活は困窮を極めますが、戦局が終結にむかいだすと、藤田の絵も徐々に売れ出し、独特の「乳白色の肌」の表現が大いにパリをわかせます。
     勲章を受賞するなど、フランスで彼の名を知らないものはいない、といわれるほど大きな成功を収めた彼は、1933年に日本に帰国し、第二次世界大戦が勃発すると、小磯良平らとともに従軍画家として戦争画を描きます。しかし、敗戦後の1949年この戦争協力による批判が高まり、ついに嫌気が差して日本を去り、2度と帰国することはありませんでした。1955年にフランス国籍を取得し、1968年にはガンのためスイスで死去しました。
  • 作風:”Grand foud blanc”(すばらしい白地)と称賛された、乳白色の滑らかな下地を創案し、その独自の下地の上に面相筆で細く繊細な輪郭線と、薄いぼかしによる陰影をのせていく画法を確立します。画家本人は乳白色の制作方法を公開していませんでしたが、近年の研究により硫酸バリウムと炭酸カルシウムと鉛白を用いていたことが明らかになりました。
     モチーフとしては猫と女を得意としていました。
  • 藤田嗣治(レオナール・フジタ)の画集、関連書籍、グッズ紹介
  • 4062109727

    藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色

    没後35年、世界的洋画家レオナール・フジタの本邦初の本格的作品集。初期から晩年まで時代を追って代表作約160点を収録。巻末には充実した作品解説や年譜、秘蔵写真も掲載。(「MARC」データベースより) by Amazon

  • 4062752921

    藤田嗣治「異邦人」の生涯 (講談社文庫)

    近藤 史人
    by Amazon

  • 4062118440

    藤田嗣治画文集 「猫の本」

    エコール・ド・パリの巨匠が描いた猫たちが初めて一冊に。フジタの猫たち130匹余!画集未収録作品を中心に約90点の猫の絵とエッセイ。(「BOOK」データベースより) by Amazon

  • 4087205193

    藤田嗣治手しごとの家 (集英社新書ヴィジュアル版)

    日本人の美術家として初めて国際的な美術界と市場で成功を収めた藤田嗣治。彼はまた、当時の男性には珍しく、身のまわりのものをことごとく手づくりし、暮らしを彩った、生活の芸術家でもありました。裁縫、大工仕事、ドールハウス、写真、旅先で収集したエキゾティックな品々…。本書では絵画作品にも描かれた、藤田がこよなく愛したものたちに焦点を絞り、そのプライベートな非売品の創作世界を解きあかします。本邦初公開の藤田撮影の写真、スクラップブックなど、貴重な図版多数をカラーで掲載。ここに現代美術の先駆者としての藤田嗣治が、蘇ります。 (「BOOK」データベースより) by Amazon

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