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サージェント(ジョン・シンガー・サージェント/ Sargent)の代表作品・経歴・解説

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マダムX(ゴートロー夫人)

(1884年) 油彩・カンヴァス 234.95 × 109.86cm メトロポリタン美術館/アメリカ

ジョン・シンガー・サージェント(John Singer Sargent)
1856年1月12日生 - 1925年4月14日没
アメリカ / リアリズム(後期は印象派的)
  • 最後の肖像画家、サージェント
  • 位置づけ:「最後の肖像画家」といわれているサージェント。印象派やフォービスム、キュビスムが台頭した美術革命の中で、伝統的な古典技法によって多数の肖像画を描いています。顕著な技術力を持ちアラプリマ技法による軽やかな筆使いが得意であった彼は、「絵が軽薄すぎる、精神性がない」と批判も受けますが、今日では「国際的に活躍した肖像画家」のひとりとして輝かしく歴史に刻み込まれています。およそ900点の油彩画と2000点の水彩画、そして膨大な数のスケッチやドローイングを残しています。
  • 生涯:イタリアのフィレンツェで生まれ、18歳の時にパリのカルロス・デュランに師事します。彼はベラスケスヴァン・ダイクら伝統的な技法を重んじており、その影響をサージェント自身も強く受けました。高い技術力で優美な肖像画を描く画風は好評を博し、早くから人気画家の仲間入りを果たします。パリのサロンで発表した「マダムX」が大スキャンダルを起こし、住まいをロンドンに移す、というドタバタもありましたが、着実に肖像画家の地位を築き、また、肖像画とは別に伝統的な技法の中に独自のリアリズムの追求していきます。アメリカで壁画の制作を行い祖国に貢献すると共に、晩年は肖像画の制作を断り、印象派風の素晴らしい水彩風景画を残しています。
  • 代表作品・作品解説
  • 【マダムX(ゴートロー夫人)】

    マダムXことゴートロー夫人は、当時の社交界の花と讃えられていた美しい女性。V字カットの露出度の高い衣装である上に、発表当初は片方のストラップが肩から落ちているように描いたため、「人妻を描いているのに官能的過ぎる!」として大スキャンダルとなります。ストラップを肩の位置に描きなおすも、モデルに受け取りを拒否され、晩年まで画家の手元にありました。
作品 Pick Up
※画像はクリックで拡大します
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カーネーション、リリー、リリー、ローズ
(1885-86年)

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エドワード・D・ボイトの娘たち
(1882年)

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レディー・アグニュー
(1892年)

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エル・ハレオ
(1882年)

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森の側で絵を描くモネ
(1885年)

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ヘンリーホワイト夫人
(1883年)

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カルロス・デュランの肖像
(1879年)

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ゴンドラの船頭の昼寝
(1904年)

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泥まみれのアリゲーター
(1917年)

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エセル・スマイスの肖像
ドローイング
(1901年)


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ロートレック(アンリ・トゥルーズ=ロートレック/Toulouse-Lautrec)の代表作品・経歴・解説

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ムーラン・ルージュにて、ダンス

(1890年) 油彩・カンヴァス 115.6×149.9cm フィラデルフィア美術館/アメリカ

アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)
1864年11月24日生 - 1901年9月9日没
フランス / 世紀末美術
  • 人間の内面を描き続け、時代を駆け抜けた画家、ロートレック
  • 生涯:南仏の伯爵家の家に生まれたロートレックは、幼少期は活発な少年として育ちましたが、事故で足を骨折したことによって足の成長が止まります。無理のきかない体となった気晴らしとして絵を始めると、次第に熱中し本格的に勉強を始めます。そして、芸術家が多く集まる町、モンマルトルに移り住み、歓楽街に入り浸る生活を始めます。そこでは娼婦、踊り子、キャバレーに通う客などと交流を持ち彼らを絵のモチーフとして精力的に制作をしていました。1891年ダンスホール「ムーラン・ルージュ」のポスターを制作するとその独創性の高い表現が注目を浴び一躍人気画家の仲間入りを果たします。しかし、そんな時期は永らくは続かず、アルコール依存により心身は衰え、入院や療養を繰り返し36歳という若さでこの世を去りました。
    なお、日本人の間ではロートレックという名で親しまれていますが、正しくは「トゥールーズ=ロートレック」でひとつの姓。
  • 作風:踊り子や屋内の光を描いたドガに強く影響を受けると共に、特にポスター制作においては、構図の取り方や色面構成にジャポニスム(日本趣味)・浮世絵からの影響も指摘されています。モチーフは大半が人物画を占めており、ロートレック自身「人間を描かなきゃだめだ」という言葉を残しています。ロートレックの鋭い人間観察によって描かれた有名な歌手や踊り子、着飾ったお客は、歓楽街という外見の華やかさや美しさには焦点が当てられておらず、虚構の世界に潜む孤独感や、憂愁、醜態といった内面描写に光が当てられています。
  • 代表作品・作品解説
  • 【ムーラン・ルージュにて、ダンス】

    ムーラン・ルージュは19世紀末から第一次世界大戦にかけてパリで一斉を風靡したダンスホール。ロートレックはここで30点ほどの油彩画を描いています。市民、貴族、娼婦などのあらゆる人々が集い賑わいをみせていましたが、ロートレックの目には、虚飾の奥に潜む群集の孤独感が見えていたことでしょう。踊る女性と手前のピンクのドレスの女性以外は黒いシルエットのように描かれ、その人物達はどこか憂いを帯びた表情をしているように見えます
作品 Pick Up
※画像はクリックで拡大します
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ディヴァン・ジャポネ
(1892-93年)

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アンバサドゥールのブリュアン
(1892年)

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赤毛の女性
(1889年)

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ムーラン・ルージュに入るラ・グリージュ
(1891-92年)

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ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ
(1891年)

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ガブリエルの肖像
(1891年)

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ひとり
(1896年)

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ムーラン・ルージュにて
(1892-95年)

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洗濯女
(1885-86年)


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ホッパー(エドワード・ホッパー/Edward Hopper)の代表作品・経歴・解説

エドワード・ホッパー(Edward Hopper)
1882年7月22日生 -1967年5月15日没
アメリカ / 20世紀具象絵画
  • 都会の人々を見つめ続けた画、アメリカ現代美術の先駆者、ホッパー
  • 経歴:現在では20世紀アメリカの具象画家を代表する最も有名な画家のひとりに数えられるホッパー。油彩作品が取り上げられることが多いですが、生前は水彩画家のイメージの強い作家さんだったようです。美術学校で絵を習い、満を持して油彩画の個展を行うも1点も売れず、水彩画と商業画家としてを生計を立てていました。水彩画家として成功を収めると、50歳くらいから油彩を再開します。
  • 作風:「都会の孤独」、彼の油彩作品を形容する言葉として最も使われ、アメリカの風景画家と位置づけられていますが、画家自身は「私的な感情表現」として制作をしていました。モチーフとしては海や建物、仕事場、モーテル、ガソリンスタンド、ホテルなどで屋内、屋外さまざまです。彼は「光」を描くことを常に考えていました。形態は簡略化して描かれ、光の効果を演出するためにコントラストを上げて、純色を用いました。
  • 代表作品・作品解説
  • 【夜更かしの人々(ナイトホークス)】

    暗い夜の町に煌々と明かりを灯すダイナーに描かれた4人の人物。路地は静まり返って人の気配を感じません。ダイナーにいる4人、表情は伺いしることは難しいですが、騒がしい感じというよりはむしろ淡々と配されているという感じです。男女の後ろのガラス面はもっと明るいはずなのですが、暗く調子を抑えることでより一層ダイナーの明かりが協調されています。この作品の構図は映画のカットや写真などにも大きな影響を与えました。ちなみに紅一点の女性(サンドイッチを食べているようです)はホッパーの奥さんがモデル。

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ジョルジョーネ(Giorgione)の代表作品・経歴・解説

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眠れるヴィーナス

(1510-11年) 油彩・カンヴァス 108.5×175cm 国立絵画館/ドイツ

ジョルジョーネ(Giorgione)
1477年/1478年頃生 - 1510年没
イタリア / ルネサンス・ヴェネツィア派
  • 謎多き夭折の画家、ヴェネツィア派を発展させたジョルジョーネ
  • 位置づけ:わずか33歳という若さで早世したジョルジョーネ、現存作品数も少ないながらもヴェネツィア派の最も有名な画家のひとりとして君臨しています。同じくヴェネツィア派の巨匠で彼の弟子であったティツィアーノは、ジョルジョーネ亡き後大成しますが。それでもジョルジョーネを超えることはできなかったとも言われています。彼はティツィアーノをはじめセバスティアーノ・デル・ピオンボ、パルマ・イル・ヴェッキオ、ジョヴァンニ・カリアーニなど多数の画家に強い影響を与えました。
  • 作風:デッサン(線)よりも色彩に重点を置きいていたヴェネツィア派のジョルジョーネの色彩は鮮やかにきらめき、そして溶け合うように描かれました。ダ・ヴィンチが発展させた「スフマート技法」(ぼかし技法)を用いて色彩と明暗の織り成す柔らかな光のニュアンスを描き出しました。
    また、風景と人物が一体となった絵画を描いた最初の画家で、宗教、寓意、歴史などの意味を持たない小作品という新しい絵画ジャンルの創始者でもあります。宗教画や神話画を描く際も、その物語や主題を理路整然と伝えるだけでなく、その内面に潜む叙情性を描き出しているため、鑑賞者はまるで音楽を聞くかのような詩情性を感じることができるのです。
  • 代表作品・作品解説
  • 【眠れるヴィーナス】

    ただ一人の裸の女性を主題に選び、かつこれだけの大きさの裸婦画は西洋でも前例がなく、当時のイタリア人版画家ジョヴァンニ・バッティスタ・パルンバの官能性表現とともに、その後数世紀にわたって西洋裸婦画の方向性を決定づけた革命的作品と考えられています。のどかな田園地帯を背景に眠るヴィーナスの姿、自然と女性美を静謐に描き出したジョルジョーネの典型的とも言える作品で、この絵画の構成はアングルやルーベンスなどの後世の画家たちにも影響を与えました。
作品 Pick Up
※画像はクリックで拡大します
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テンペスタ
または嵐
(1505-07年頃)

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ユディト
(1504年)

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3人の哲学者
(1507年)

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羊飼いの礼拝
(1505年)

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ラウラ
(1506年)

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カステルフランコ祭壇画
(1503年)


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ティツィアーノ(Tiziano Vecellio)の代表作品・経歴・解説

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ウルビーノのヴィーナス

(1538年) 油彩・カンヴァス 119×165cm ウフィツィ美術館/フィレンツェ

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)
1490年頃生 - 1576年8月27日没
イタリア / 盛期ルネサンス(ヴェネツィア派)
  • ヴェネツィア派の巨匠。自由な筆致と美しい色彩が織り成す生命の輝き
  • 経歴:同じく盛期ルネサンスの有名人ダ・ヴィンチミケランジェロといった画家とは異なる魅力で輝き続ける巨匠、ティツィアーノ。当時フィレンツェから伝わった油彩の技法とベネツィア独特の鮮やかな色使いををジョバンニ・ベッリーニから学び、その後ジョルジョーネに弟子入りしやわらかな筆跡で描く画法を学びます。師のジョルジョーネはすでに世間からの注目度が高く将来を期待されていましたが、30歳で夭折すると、その注目はティツィアーノへと移ります。確かな技量を持ち合わせると同時に自己プロデュース力にも優れていた彼は、たちまちヴェネツィア派を代表する画家となり、ローマ教皇ほかあらゆる権力者からの注文が殺到し圧倒的な成功を収めました。
  • 表現:理性的なフィレンツェ、感覚的なヴェネツィアと例えられた両者の表現方法は、前者が輪郭線を生かして薄く絵の具を載せていくことに対し、後者は輪郭線なしで絵の具を自由に載せていくものでした。当時のヴェネツィアは文化が成熟し解放的で享楽的な空気が漂っており、それが、独特の輝く色彩や、伸びやかなタッチ、生き生きとした人間の生命の描写へと繋がっていたと考えられます。理想化されない息づく生の人間としての生命力、空気、官能、なまめかしさが溢れるティツィアーノ作品は、ヴェネツィアを存分に感じ取った画家が、新たに開拓を進めていった表現方法でもあり、今でも輝きを放ち続けているのです。
  • 代表作品・作品解説
  • 【ウルビーノのヴィーナス】

    タイトルのウルビーノとは、ローマの都市の名前で、その統治者からの依頼により制作された女神像です。右に描かれた2人の人物の部分には嫁入り道具の入った箱が描かれたり、ヴィーナスの足元には女性の貞節を表す犬が描かれていることから、結婚祝いのために描かれた絵ということが分かり、ヴィーナスも愛の大切さを説きにきたという理由で描かれているものと思われます。とはいえ女神ヴィーナスを示す象徴物(一般的には鳩や息子キューピッドの姿)は画面には見られない上に、陰部に手を置き官能的な目線を投げかける横たわる裸の女性というなんとも艶かしいその姿は、注文主が私的に楽しむために描かせた裸婦像であったからと考えられています。ちなみに、師のジョルジョーナ作「眠れるヴィーナス」のポーズを模倣して描いた本作は、後に印象派のマネの作品「オランピア」においても影響が見てとれます。。

関連検索

  • ティツィアーノの所属カテゴリー

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  • 作品 Pick Up
    ※画像はクリックで拡大します
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    聖母被昇天
    (1516-18年)

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    田園の奏楽
    (1510-11年)

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    バッカスとアリアドネ
    (1520-23年)

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    自画像
    (1562年)

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    ルドヴィーコ・アリオストの肖像(自画像の説もあり)
    (■制作年)

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    ヴィーナスとアドニス
    (1554年)

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    フローラ
    (1516-18年)

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    ディアナとアクタイオン
    (1556-59年)


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