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河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)の代表作品・経歴・解説

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大和美人図

(1884-86年) 紙本着色  132.5×62.2cm 個人蔵

河鍋暁斎(Kawanabe Kyōsai)
1831年5月18日生~ 1889年4月26日没
日本 / 浮世絵・狩野派
  • 奔放でありながら確かな筆力で、激動の幕末期を駆け抜けた「奇才」
  • 位置づけと作風: 狩野派の流れと浮世絵との伝統を股にかけ、幕末・明治の激動期を生きた画家です。真面目な仏画から、風刺のきいた戯画・狂画や、妖怪画などで有名ですが、抜群の企画力・構想力、筆力の強さなど、そのスケールは他の追随を許しません。酒豪で知られ、奇行や逸話の多い画家としても有名。
  • 生涯と経歴: 下総国(現在の茨城県)に生まれ、2歳で家族とともに江戸へ移り、7歳で浮世絵師・歌川国芳の門に入り浮世絵を学びます。10歳で駿河台狩野家の前村洞和・狩野洞白陳信に師事し狩野派の画法を習得し、19歳で独立します。しかし時は幕末の不穏な世相の中で、狩野派絵師として生活するのが苦しかったため「狂斎」の名で風刺のきいた浮世絵、戯画、行灯絵などの制作をはじめ、一躍人気者となります。しかし、1870年は政治批判をしたとして逮捕投獄。翌年に放免後は、号を「暁斎」と改め、万博や勧業博覧会などの展覧会で目覚ましい活躍をします。また、英国人建築家コンデル(コンドル)を弟子にとったりと積極的に外国人との交流を図ったため、今日でも欧米の評価が日本を凌ぐといわれています。
  • 代表作品・作品解説
  • 【大和美人図】

    弟子コンドル(コンデル)のために、彼の目前で60日かけて丹精を込めて描き、贈った作品。その制作の過程と技法を、1911年に出版した日本画の研究書「河鍋暁斎―本画と画稿」の中で詳細に記しています。各美人の着物の細密な柄の描きこみの見事さとともに、背景の屏風等の模様の丹念な描写に目を奪われます。
作品 Pick Up
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慈母観音像
(1883年)

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地獄太夫と一休

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暁斎楽画・ 不動明王開化
(1874年)

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地獄極楽めぐり図より三途の川の渡し船

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枯木寒鴉図
(1881年頃)

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鯉魚遊泳図

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幽霊図

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九相図


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菱川師宣(ひしかわ もろのぶ)の代表作品・経歴・解説

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見返り美人図

(1688-1704年) 絹本着色 63.2×31.0cm 東京国立博物館

菱川師宣(Hishikawa Moronobu)
1618年生 - 1694年7月25日没
日本 / 浮世絵
  • 最初の浮世絵師
  • 位置づけ: 浮世絵のパイオニアであり、「浮世絵の祖」と称される師宣。 1672年刊行の版本「武家百人一首」に、菱川吉兵衛と署名し、これは町絵師が版本に署名を入れた初めての事例とされています。それまで単なる挿絵でしかなかった浮世絵でしたが、鑑賞に堪え得うる独立した絵画作品にまで高めるという重要な役割を果たし、文章メインであった版本に、挿絵が主役となる新たなパターンを作り出したとされています。
  • 経歴と作風: 詳しい生年月日は不明ですが、幼少より絵を好んだ師宣は、活気に沸く江戸のちで狩野派をはじめ、土佐派、長谷川派といった幕府や朝廷の御用絵師たちの技法を学び、浮世絵師の名声を確立していきます。版本においてはのびのびとした明快な描線による画風で、風俗絵本や名所案内図、金平本(浄瑠璃本)や好色本などあらゆるジャンルを描いています。
     一方屏風、絵巻、掛幅と様々な肉筆浮世絵も手掛けており、江戸の風俗を生き生きと描いた作品たちは当時から好評を博していました。
  • 代表作品・作品解説
  • 【見返り美人図】

    菱川師宣の代表作である肉筆美人画。17世紀末期当時の流行であった吉弥結びにより結ばれた帯と、緋色の綸子地に菊と桜を散らした模様の着物を身に着けており、当時の華やかな衣装の美しさを余すとことなく伝えています。背景のないところに女性像をぽつんと描くという構図は浮世絵に先行する「寛文美人図」(掛幅のに遊女らの一人立美人図)からの影響を受けています。
菱川師宣の画集、関連書籍、グッズ紹介
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作品 Pick Up
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歌舞伎図屏風(全体)


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歌舞伎図屏風(部分)


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歌舞伎図屏風(部分)



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北楼及び演劇図巻


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上野花見図押絵貼屏風



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変化画巻(部分)
(1685年)


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変化画巻(部分)
(1685年)


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歌川 広重(うたがわひろしげ,Utagawa Hiroshige)の代表作品・経歴・解説

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東海道五十三次(東海道五拾三次)之内 日本橋 朝の景

(1833年) 横大判錦絵 山口県立萩美術館・浦上記念館

歌川 広重(Utagawa Hiroshige)
1797年生 -1858年10月12日没
日本 / 江戸後期・浮世絵
  • 世界的に高い人気を誇っている風景画の巨匠
  • 経歴と生涯: 当時人気の浮世絵師歌川豊国と同門の歌川豊広の弟子として修行を始めた広重は、役者絵や花鳥図等様々なジャンルを手掛けましたが、特に美人画を描く絵師として認識されていました。
     1831年頃に発表された10枚シリーズの「東都名所」により、名所絵(風景がの意味)を中心に制作していくスタイルへと転向。1833年には代表作でもある「東海道五十三次」を手掛けるとブレイク。北斎と共に風景浮世絵師として名声を決定的なものとします。一方名所絵師として活躍するようになってからも花鳥図や美人画などを手掛けています。晩年には紙を縦長方向に用いた縦絵作品が多くなり、最晩年には広重の代表的シリーズのひとつでもある「名所江戸百景」を描き始め、62歳で生涯を終えるまで同シリーズ108枚を描き上げました。
  • 作風: 広重の初期の名所絵から見られる、透視図法を自然に取り込んだ巧みで大胆な画面構成、そして晩年になるほど顕著に表れるモチーフの大胆なトリミングは、ゴッホモネなど海外の美術家に多大なる影響を与えました。また広重の作品に好んで使われている鮮やかな藍色(ベロ藍)は、「ジャパンブルー」あるいは「ヒロシゲブルー」といって評価が高く、広重はこの色をぼかして空気感や光彩の表現にも成功しています。
  • 代表作品・作品解説
  • 【東海道五十三次之内 日本橋 朝の景】

    公用で江戸から京都へ東海道を旅した際に描いた55枚(53の宿場に日本橋と京)のシリーズで、先に描かれていた「東都名所」で見られた大胆な構図に加え、移り変わる四季の叙情や風や雨を感じさせる立体的な描写などが見事な、広重の代表作です。その最初の1枚である本作は、開け放たれた木戸から日本橋を正面に望む構図が非常に新鮮であり、日本橋の何気ない早朝の光景を見事にとらえています。また異版として「東海道五十三次之内 日本橋 行列振出」が彫り直されています。
作品 Pick Up
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東海道五十三次之内 箱根宿

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東海道五十三次之内 吉原宿

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名所江戸百景・亀戸梅屋敷
(1857年)

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名所江戸百景・大はしあたけの夕立

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名所江戸百景・深川州崎十万坪
(1857年)

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鴛鴦(おしどり)
(1832-34年)

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富士三十六景・駿河薩多海上

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魚つくし・伊勢海老・車鰕・芝ゑび


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葛飾応為(かつしかおうい,Katsushika Oui)の代表作品・経歴・解説

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廓中格子先図

浮世絵太田記念美術館

葛飾応為(Katsushika Oui)
生没年不明
日本 / 江戸後期・浮世絵
  • 葛飾北斎の娘。北斎も認めた美人画の名手
  • 経歴・作風: 北斎の三女で名を「栄」もしくは「阿栄」という、江戸時代後期を代表する女性絵師のひとり。応為の号は、北斎が娘を「オーイ、オーイ」と呼んだので、それをそのまま画号としています。生没年は不明ですが、相当な変わり者で「女仙人になりたい」と願っていたと伝えられています。一度結婚するも離婚して父の元に戻り、以降は再婚せず助手をしながら自身も絵をかいて過ごします。その腕前は時として父を凌ぐほどであったといわれ、北斎も「自分が描く美人画は阿栄にはかなわない」と言葉を残しています。緊張みなぎる人体表現など北斎の特色をよく継承しているうえ、西洋画法への関心が強く、誇張した明暗法と細密描写に優れた作品が残されています。彼女の作として残された作品は非常に少ないですが、「北斎作」とされる作品の中にも、実際は応為の作、あるいは父との共作が相当数あると考えられています。特に北斎八十歳以降の落款をもつ肉筆画において、八十を過ぎた老人にしては彩色が若々しく、精緻に過ぎる作品がしばしば見られ、こうした作品を応為の代筆とする説もあります。[
作品 Pick Up
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月下砧打ち美人図(月下玉川砧打図)
(1818-30年)


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三曲合奏図


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夜桜美人図
(春夜美人図)


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葛飾 北斎(かつしかほくさい)の代表作品・経歴・解説

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富嶽三十六景・神奈川沖浪裏

(1831年) 横大判錦絵 山口県立萩美術館・浦上記念館

葛飾 北斎(Katsushika Hokusai)
1760年10月31日?生 - 1849年5月10日没
日本 / 江戸後期・浮世絵
  • 世界が認めた浮世絵の巨匠
  • 位置づけ:世界で高名な画家ゴッホが心酔し、西洋美術、さらにはドビュッシーら音楽家にも影響を与えたといわれる葛飾北斎。90年という長い年月の間に手掛けた作品は3万点ともいわれています。本人は転居を93回繰り返したり改号を30回したりと奇癖で知られていますが、天才的なデッサン力緻密で明快な構成能力に加え、旺盛で奔放なチャレンジ精神があってこそ北斎の芸術は大成したといえるでしょう。
  • 生涯と変遷 :19歳で勝川春章に師事し、狩野派や唐絵、西洋画などあらゆる画法を学び、名所絵・役者絵・黄表紙の挿絵等の浮世絵のあらゆるジャンルを手掛けます。35歳で勝川派を破門となると狂歌絵本の挿絵や肉筆画などを中心として活動していました。なお、生涯を通して版本の挿絵の提供者として膨大な数の作品を提供していますが、なかでも読本挿絵においては、人気作家曲亭馬琴コンビを組んだ前後に1400もの大量の挿絵を描き、馬琴とともその名を高め、挿絵というジャンル自体の評価も高めたといわれています。50歳を過ぎ、絵手本「北斎漫画」を刊行すると大変な好評を博し、北斎の代名詞的存在となります。種々の経験を経て、私たちがよく知る「富嶽三十六景」等の版画の連作を描き出したのは、じつに北斎60代の時で、洋風版画から学んだ空間構成、挿絵制作を通じて会得した動的な構図など、集大成ともいえる傑作を生みだしました。晩年は錦絵の制作は少なくなり「富嶽百景」のような肉筆画を手掛けるなど、90歳でその生涯を終えるまで制作意欲は衰えなかったといわれています。
  • 代表作品・作品解説
  • 【富嶽三十六景】

    「富嶽」は富士山のことで、各地から望む富士山の景観を、随所に旅の情景や四季の風情とともに描いている風景版画です。たとえば「神奈川沖浪裏」では、大きなうねりを持った波の「動」と、毅然とたたずむ富士山の「静」の織り成す明快でダイナミックな構図が見事な傑作です。当初は主版の36枚で終結する予定でしたが、作品が人気を集めたため追加で10枚が発表され、計46枚になりました。追加の10枚の作品を「裏富士」と呼びます。浮世絵の風景画は当時「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立しました。
作品 Pick Up
※画像はクリックで拡大します
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凱風快晴
(1831年)

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駿州江尻

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北斎漫画 初編より

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北斎漫画 第二編より

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風流無くてななくせ遠眼鏡
(1801-04年)

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百物語・さらやしき葛飾北斎

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肉筆画帖 鷹


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